メロンパンを食べた

パンを食べました。塩クロワッサンメロンパンというのを食べました。はじめて食べました。アルペンザルツ岩塩という塩を使っていました。メロンパンの味がしますが、形はクロワッサンなので珍しいパンでした。そして、勉強をしました。英仏両国の植民地争奪戦は、ヨーロッパでの戦争と連動して北アメリカとインドで争われました。北アメリカではイギリス人の植民地が農園を経営したり、商工業をおこなうなかでフランス人や先住民とたたかい、本国の支援をえて優位にたちました。インドにおける両国の抗争もイギリスが1757年のプラッシーの戦いで勝利をえました。1763年のパリ条約でフランスはアメリカ大陸における領土をほとんど失い、インドでもイギリスが決定的な優位にたち、17世紀以来の植民地抗争はイギリスの圧倒的勝利におわりました。イギリスの獲得した植民地のうちもっとも重要な役割をはたしたのはインドでした。ここで生産された綿織物は当時のイギリスで大流行し、その需要の増大は産業革命の一因ともなりました。フランスなどとの植民地戦争に勝ったイギリスでは伝統的な毛織物業のほかに、16世紀以降さまざまな製造業が成立していました。それらの製造業は広大な植民地を海外市場として大いに発達し、国内には豊かな資本が蓄積されました。

オランダなどについて勉強した

勉強をしました。1602年に東インド会社を設立したオランダは、ジャワ島のバタヴィアを拠点にアジア貿易をすすめました。1623年にはアンボイナ事件によってイギリス勢力をモルッカ諸島から一掃し、香辛料の対ヨーロッパ貿易で優位にたちました。また、鎖国後の日本ともヨーロッパ諸国としては唯一通商関係を維持し、一時台湾も占領してアジア諸地域間の貿易をも活発におこないました。さらに、アジアへの中継点としてアフリカ大陸の南端にケープ植民地を建設しました。またアメリカ大陸東部にも進出し、ニューネーデルラント植民地をひらきました。1651年にイギリスのクロムウェルが発布した航海法は、オランダの中継貿易に大きな打撃をあたえたため、3回にわたってイギリス=オランダ戦争がおこりました。この戦争や17世紀後半から香辛料の価格が暴落したことを背景に、オランダの覇権は失われました。17世紀前半のイギリスとフランスは、植民地競争で先行するオランダに対抗するため、比較的良好な関係にありました。両国はインド沿岸部に拠点をきずき、アジア貿易をめぐってオランダと競争しました。しかし、イギリス=オランダが協調関係にはいるとフランスはイギリスと激しく敵対するようになりました。こうして17世紀後半からイギリス・フランス両国は植民地の争奪戦を繰り広げることになりました。

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