西日本豪雨について思った事。

今回の西日本豪雨で、たくさんの方々が被害にあったり亡くなられたり。広い範囲とびっくりしました。
川の氾濫では浸水被害、浸水も信じられない水位と流れで、死亡の人土砂崩れでのうまりで死亡の人と一瞬にして、命をうばわれてしまう天災のこわさを感じています。
避難所にいる方々も、暑さに、トイレ不足衛生状態の悪化等とても大変です。
一番被害が多いのは広島みたいです。あらたに川が氾濫したと言っていたのでびっくりしました。
雨が降っていないのに氾濫をしたと言っていました。土砂がたまり自然にダムができたと言っていました。
雨がやんでも安全ではないと感じました。自然は恐ろしいと思います。
晴れていて時間がたって土砂災害になったと言っていました。
濁流恐ろしいと思います。
川の水がおしよせてきたと言っていました。ふだんは流れが穏やかな川が突然急な流れになってとても怖いなぁーと思います。
土砂災害58かしょ凄くひどかったんだなぁーと思います。
暑い中の作業大変だと思います。
夜間の窃盗被害が増えていると言っていました。なんでこういう事が起きているのに考えられないと思います。
スマートフォンなどを利用して情報を確認しておくといいと言っていました。
現場の状況をテレビで見ると言葉がでません。
こういう時こそ助け合いが大事だと思います。
早くもとの生活に戻れたらいいと思います。
私達の所は守られて、いつもと変わらない生活ができていることはとても感謝しないといけないと思います。

農業などについて勉強した

農村では18世紀にはいると大地主が農民の土地や村の共同地をあわせ、農業資本家がこれを借りうけて大農場経営にのりだしました。このため農民の多くは土地を失い、農業や工業の労働者となりました。こうして、イギリスは豊富な資本・労働力・市場を保有することになりました。さらに石炭・鉄などの資源にもめぐまれており、自然科学や技術の進歩により新しい生産技術が発明されると、これらを応用して工業生産に役だてることができました。また18世紀半ばころまでにイギリスがアジアなどとの取引を増大させた結果、インドや中国などの物産がイギリス人の生活に欠かせないものとなっていました。とくにイギリス国内では綿織物への需要が増大して綿工業が発達しはじめており、この分野で技術革新がはじまりました。ケイが飛び杼を発明した18世紀半ば以降、紡績や織布のための機械の発明・改良が相次ぎ、ワットの改良した蒸気機関が動力に利用されて綿織物の生産が飛躍的にすすみました。それにともない機械を製造する機械工業、機械の原料となる鉄を精錬する鉄工業、蒸気機関の燃料となる石炭を採掘する炭鉱業などの諸産業が大いに発達しました。諸産業の拡大によって大量の原料や製品の輸送が必要となり、道路・運河の建設がすすみました。

メロンパンを食べた

パンを食べました。塩クロワッサンメロンパンというのを食べました。はじめて食べました。アルペンザルツ岩塩という塩を使っていました。メロンパンの味がしますが、形はクロワッサンなので珍しいパンでした。そして、勉強をしました。英仏両国の植民地争奪戦は、ヨーロッパでの戦争と連動して北アメリカとインドで争われました。北アメリカではイギリス人の植民地が農園を経営したり、商工業をおこなうなかでフランス人や先住民とたたかい、本国の支援をえて優位にたちました。インドにおける両国の抗争もイギリスが1757年のプラッシーの戦いで勝利をえました。1763年のパリ条約でフランスはアメリカ大陸における領土をほとんど失い、インドでもイギリスが決定的な優位にたち、17世紀以来の植民地抗争はイギリスの圧倒的勝利におわりました。イギリスの獲得した植民地のうちもっとも重要な役割をはたしたのはインドでした。ここで生産された綿織物は当時のイギリスで大流行し、その需要の増大は産業革命の一因ともなりました。フランスなどとの植民地戦争に勝ったイギリスでは伝統的な毛織物業のほかに、16世紀以降さまざまな製造業が成立していました。それらの製造業は広大な植民地を海外市場として大いに発達し、国内には豊かな資本が蓄積されました。

オランダなどについて勉強した

勉強をしました。1602年に東インド会社を設立したオランダは、ジャワ島のバタヴィアを拠点にアジア貿易をすすめました。1623年にはアンボイナ事件によってイギリス勢力をモルッカ諸島から一掃し、香辛料の対ヨーロッパ貿易で優位にたちました。また、鎖国後の日本ともヨーロッパ諸国としては唯一通商関係を維持し、一時台湾も占領してアジア諸地域間の貿易をも活発におこないました。さらに、アジアへの中継点としてアフリカ大陸の南端にケープ植民地を建設しました。またアメリカ大陸東部にも進出し、ニューネーデルラント植民地をひらきました。1651年にイギリスのクロムウェルが発布した航海法は、オランダの中継貿易に大きな打撃をあたえたため、3回にわたってイギリス=オランダ戦争がおこりました。この戦争や17世紀後半から香辛料の価格が暴落したことを背景に、オランダの覇権は失われました。17世紀前半のイギリスとフランスは、植民地競争で先行するオランダに対抗するため、比較的良好な関係にありました。両国はインド沿岸部に拠点をきずき、アジア貿易をめぐってオランダと競争しました。しかし、イギリス=オランダが協調関係にはいるとフランスはイギリスと激しく敵対するようになりました。こうして17世紀後半からイギリス・フランス両国は植民地の争奪戦を繰り広げることになりました。